魔界京都☆平安京は呪われた都!?

京都1200年の歴史には、コワ〜いお話もチラホラ。
1200年、平安京(794年ナクヨ、ウグイスです)から続く京都の歴史。
気の遠くなるような歳月です。

まぁコワいといっても、平安時代のお話ですから、もう伝説に近い。
リアルな現代の幽霊話のほうが、よっぽどコワい。
怖がりのクセに、京都での学生時代、知り合いに霊感の強い方がいて、時々聞いてました。(というか、聞かされた)
また機会がありましたら、記事にします。(しないほうがいいかな)

では、平安京遷都について。
平安京の前の都は、長岡京。
僅か10年の短命に終わった都です。(懐かしい日本史)

時の天皇、桓武天皇は、奈良の仏教勢力からの影響を薄めるため、平城京(奈良)から長岡京(京都)へ遷都します。
遷都については、他の理由もあるようです。

長岡京は、交通の要所でもある桂川のほとりに作られましたが、頻繁に氾濫、その上、長岡京の造営長官であった藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が何者かによって暗殺されるという事件が起きます。

その容疑は、桓武天皇の実弟、早良親王(さわらしんのう)にかけられました。なぜ〜?
早良親王は無実を訴えたにもかかわらず、淡路島に配流され、桓武天皇に恨みを抱いたまま死去。
その後、桓武天皇の周りでは、不幸が相次ぎ、早良親王の怨霊が噂されるようになります。

その長岡京から北東、風水でいう鬼門にあたる方角へ平安京は造営されます。 桓武天皇は、鬼門という方角を、ことのほか気にされていたとか。
早良親王の怨霊の件もありますし、当然といえば当然です。

平安京は400年近く続きますが、長岡京同様、天災、飢饉疫病が重なること度々。
その一因には、先の早良親王にはじまる、政争に巻き込まれ、無罪で命を落とした者たちの怨念があったといいます。

天災による鴨川の氾濫は、飢饉や疫病に拍車をかけます。
ここで登場するのが、以前にもご紹介した秦氏。
秦の始皇帝の子孫ともいわれる秦氏の財力、治水技術などなくして、平安京創生はなかったでしょう。

あわせて、平安京は、怨霊封じの対策も取られた都市でもありました。

京都のもう一つの側面がイメージできましたでしょうか?

その平安の代に、卓越した能力で活躍したのが陰陽師・安倍晴明です。

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この記事へのコメント
こんばんは。
「つれづれなるままに、旅の足跡」というブログをやってますJ.D.と申します。
せっかく遊びに来てくださったのに返事が遅くなってごめんなさい。

相互リンクの件は了解しました。こちらこそ今後ともよろしくお願いします。

さて、長岡京→平安京への遷都については早良親王の件も含めていろいろ理由が挙げられているようですね。
当時の地形とか人々の宗教観や思想が現代とは大幅に異なるのでどの理由も正直ピンとこない感じですが、ただ810年の平城上皇の変から1159年の平治の乱まで(現在見つかっている公式文書の記録上では)死刑が行われなかった背景には‘怨霊’という言葉がキーワードの1つとしてあるのかもしれませんね。
Posted by J.D.
★J.D.さん
リンクの件、ありがとうございます!

>810年の平城上皇の変から1159年の平治の
乱まで死刑が行われなかった〜

そうなのですか!
知りませんでした。貴重な書き込み、感謝です。
これだから京都の歴史は興味深い。。。
Posted by hal
 ブログみました。自分も平安京が何故誕生したのか?まぼろしの都 長岡京など興味があります。いろいろ調べてみたくなりました。あと、そういった伝説を意識しながら京都を歩いてみたいです。
Posted by クラ
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